川流不息

絶賛テレワーク中!の日々のメモ

自分の素の姿を受け入れるのは勇気が要る

自分の素の姿を受け入れるのは勇気が要ります。自分の素の姿とは、容姿のことではありません。

下記は過去に起きたことですが、一部フィクションにしてあります。

あることの結果に対する評価が低かったため、酷くなじられたことがあります。間に入る人が多過ぎて、大事なことが正しく伝わっていなかったせいだと私は主張したのですが、私の能力が低いことのみが原因であるとの𠮟責を受け、その後干されたりしました。

その後、他の人が同様のことを担当しましたが、その結果も評価が低く、そこでようやくコミュニケーションに問題があったせいかもしれないと推測されました。私はそれを聞いた時すぐに、その担当者は私と同じように酷い𠮟責を受けたのだろうな、当然同じように𠮟責されたよね、当たり前だよね、私はあれだけ言われたのだから...と思ってしまいました。

その後の私は別のことで高い評価を受け、名誉挽回しました。

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でも、最近になって、もしかしたら以前の低い評価は私のコミュニケーションに問題があったせいかもしれない、もしかしたら体力その他が原因で最善の能力が出せず、結果的に能力が低かったのかもしれない...と思うようになりました。

自分の能力に足りない部分があると正面切って言われたら反論するけれど、聖人君子ではないのだから誰にでもどこか足りない部分はあるに違いないのです。酷く責められたことで自分を客観視出来なくなっていたかもしれません。酷く責められると「私は悪くない、私は精一杯やった、私に与えられた環境のせいだ、私のせいではない.、(以下くりかえし)」な思考になってしまいます。

また、間に入る人が多過ぎて大事なことが正しく伝わらなかったのも、私の言語化する能力が低いせいで疑問があっても聞き返せずにそのまま続けてしまった結果、コミュニケーションに問題が生じてしまったせいなのかもしれません。

ここらへんの本当のところはよく分からないのですが、私は自分の素の姿を受け入れられず、『私は悪くない』の殻に閉じこもっていたのかもしれません。