川流不息

絶賛テレワーク中!の日々のメモ

昔の同僚とかどうしてるのか つい調べたくなる

緊急事態宣言の合間を塗って割と忙しい毎日です。自宅でターンターンとPC叩きまくってます。

 

とにかく人と会っていないからか、何かの拍子に突然、昔の同僚やクラスメイトを思い出してその名前をググったりします。

今日は新卒の頃の上司を突然思い出したので、そういえば何年か前に子会社の社長になられて...と調べてみたら、その子会社はとっくに無くなっていました。スクラップアンドビルドが激しい会社だったのでそんなもんですが、そもそももうご隠居されてる年だと気がつきました。それ以降はどうされているのかは見つからず。

こんな毎日です。

年度初めなのに何故か忙しい

いつもの年なら年度初めの4月は暇で、昼間から船漕いでこっくりこっくりしているはずなのに、何故か今年は4月から忙しいです。

緊急事態宣言で止まり、解除でドバっと動きがある、のような感じがするので、この調子だとまた緊急事態宣言になるのか、オリンピックやりたいから意地でももう緊急事態宣言は出さないのか分かりませんが、6月頃にコロナが蔓延してどうしようもなくなったらまた暇になるかも。

頻繁に目の疲れが取れるという目薬を指す毎日です。

仲の良かった友達は皆海外に行ってしまった

コロナ禍でふと思い出したのですが、私が仲の良かった友達はいずれも海外に行ってしまいました。いわゆる普通より少しずれているタイプだった彼女達は、今海外でのびのびと暮らしているみたいです。そして私は日本にいるけれど、以前から海外の仕事をすることが多いです。

日本では型からはみ出る人間はやっていきにくいような気がします。それでも私も彼女達も居場所を見つけられていい社会だと思います。

青色LEDノーベル賞を受賞した赤崎勇さんの死去のニュースで同時に中村修二さんのことを思い出しました。中村さんはノーベル賞を受賞したのに、旧勤務先は剣もほろろな対応だったようなことをおぼろげに覚えています。中村さんの場合は職務発明か否かで大規模な訴訟になって、中村さんが勝ったからですね。

彼が会社を説き伏せる交渉力があったならば...とか、会社が市場の大きさを予想して支援していれば...とか色々考えます。企業というのは利潤を追求する目的があるから、いつ目が出るのか分からないことをしている者を支援なんて出来なかったのだろうな...などとも考えます。いずれにせよ、彼はアメリカに居場所を求めて日本を去りました。

日本の「普通」の中でで生きにくい人達が海外の仕事をしたり支援したりして、日本の「普通」を守って仕事をしている人達を勝ってしまうことがあるかもしれない、とふと思いました。

服とは

コロナ前と2020年の服飾費、化粧品代を比較したら3分の一位になっていました。ほとんど人と会っていないのでおしゃれする気が失せていたのです。

春に向けて少しだけ春物を出したら、久しぶりにやる気になって、アクセサリーを出してみたりしました。いつでも人に会える格好をするのは楽しいです。

コロナ禍はまだ収まらないし、テレワークもまだまだ続きますが、せめて外面だけでも華やかにして春の気分を味わいたいと思います。近所の桜並木もかなり咲いているとの噂なので、明日あたり1人でお花見でもしますか。

社会保険料は高い

長年、会社員やっています。

給与明細を見ると、一番高額なのが厚生年金保険料、その次は健康保険料、そして以下は順不同で所得税と住民税と介護保険料です。年金と健康保険の割合が年々ジワジワ上がってきている感覚です。

私の母は数ヶ月に2回位、大病院の別々の科に通っているのですが、それぞれの科で薬を大量に出されます。私なんぞこれまでにそんなに大量の薬を見たこともありません。それらはあまりにも大量なので、を正しく飲めるように介護保険で元看護士さんの介護士さんに管理していただいています。自分の母のことなのに、一体何に効くのか、おそらくは対処療法に過ぎないことに、こんなに大量の薬を飲んで意味があるのかと毎回思ってしまいます。

それでも、大量の薬、それらは私を含め、皆さんが収めた健康保険料から一部が使われているのです。そしてそれらや年金がお給料からガサっと引かれているのです。

海外でコロナが日本より多くの割合で感染しているのは、国民皆健康保険の制度が無いため病院で受診しにくいせいだと聞きます。

 

私自身はあまり病院に行かない方なので、余計にこんなことを考えてしまうのかもしれません。そして、自分の親が健康保険のお世話になっているのにこんなことを書いて、とんでもない奴かもしれません。ですが、モヤモヤをここに書き出させていただきました。

 

3.11

3.11から10年。

私はその時、都内のビルの1Fで仕事をしていました。大きな揺れがあったこと自体はあまり覚えていません。覚えているのはその後のことばかりです。

•職場の上の階にいた人達がディスプレイが机から落ちそうになるのを必死に抑えたと言っていた。私のいたフロアではもちろんかなり揺れたけれどそれほどではなかった
•インターネットは使えたし、TVもやっていた
•ネットのニュースで福島の原発のことを知った。お孫さんが生まれたばかりの職場の人が、水を買って帰らなきゃと先に歩いて帰った

•ネットニュースやTwitter津波のことを知る

•電車が止まったので、職場の人の一部が歩いて帰りだしたら、多摩川にかかる橋が通行止めになったらしいと連絡が来た

•どうせすぐ動くと思っていた電車は夕方になっても動かない

•相方が職場まで歩いて迎えに来てくれたので、閉まっている飲食店も多い中、開いていた牛タンの"ねぎし"でとりあえず夕ご飯を食べた

•自宅に向かって歩き出す。原宿を通るルートのせいか、街はきらびやかだった

•道中、ビルの壁に設置されたTVで津波の様子を見る

•途中、地下鉄が動き出したことをTwitterで知り、地下鉄の駅にたどり着く。駅の混み方がラッシュアワーのよう。でも頑張って乗った

•JRは線路点検などの理由で翌日まで運休していた。帰途がJRのみの人達は諦めて会社に泊まっていた

•地元は停電していなかった

•自宅のガスはガスメーターのところで地震を探知して止まっていた。翌朝、ガスメーターのその設定を自分達で解除したらガスが出た

•停電している地域に帰った人達は途中でコンビニに寄り、ほとんど売り切れで選択の余地無し、携帯の灯りを頼りにパンを買ったと聞いた

計画停電があった地域もあったが、自宅は該当しなかった

•余震が1ヶ月位続くことを阪神淡路大震災を経験した親族から聞いていたので余震自体はそれほど怖くなかった。それより余震を知らせる携帯電話のエリアメールの音が怖かった

ACジャパンのポポポポーンのCM続きにうんざりしていた

•トイレットペーパーが品切れになったが、少し経つと普通に帰るようになった。(コロナ禍の初め頃の方がトイレットペーパーが買えなかった)

 

私自身はこれで済みました。それなのに今年の10年目の特集記事や特集番組を見ると辛くてたまりません。地震津波で自身や家族や身近な方が直接被害を受けた方々はもっと辛いでしょう。

あれから10年目となる今年はコロナ禍の2年目、歴史に残るような、まさかと思うことが立て続けに起こった10年でした。

緩んだ気を引き締めて、防災用品を今一度点検します。