フィルターバブル
『フィルターバブル』、少し流行りの言葉に飛びついてみます。
検索結果が個人に最適化され過ぎて、自分が見たい情報しが見えなくなることをフィルターバブルと呼ぶそうです。
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これは『いらすとや』さんの『フィルターバブル』のイラストです。バズワードへの反応が速すぎる...。
8月にも検索エンジンへの不満を書きましたけれど、最近、検索サイトで検索すると、無料なのだからまいっか、だけでは済ませられないような、何だか騙されているような結果にしかたどり着けていないような感じがしています。senryufusoku.hatenablog.com
検索エンジンだけではなく、スマホのニュースアプリで表示される内容が人と比べてみると違ったり、SNSで表示される内容が最適化されています。コントロールされた与えられた情報の上で踊っている感じです。人を集める、人の挙動を集めて分析してマーケティングに使う等、無料で得られる検索サイトへの対価は、こうして支払われているのですね。
これに抵抗して時々、duckduckgoという個人情報を集めないことがウリの検索サイトを使ってみたりしますが、その検索結果をGoogle Chromeの上で使っても元の木阿弥でしょうね。
テレワークの中、新しいことを取り入れようと思ったり、生活の仕方に揺らぎを求める、つまりいつも同じことをするのではなく、時々意識的に変えてみようと思うようになったのも、フィルターバブルから抜け出そうとする無意識の行動なのでしょうか。
Googleだけではない、スマホを使うということ、PCを使うということ、ソフトやアプリを出来るだけタダのものを使って安く上げるということはそういうことなのだと理解して使うことが必要になりそうです。