川流不息

絶賛テレワーク中!の日々のメモ

3.11

3.11から10年。

私はその時、都内のビルの1Fで仕事をしていました。大きな揺れがあったこと自体はあまり覚えていません。覚えているのはその後のことばかりです。

•職場の上の階にいた人達がディスプレイが机から落ちそうになるのを必死に抑えたと言っていた。私のいたフロアではもちろんかなり揺れたけれどそれほどではなかった
•インターネットは使えたし、TVもやっていた
•ネットのニュースで福島の原発のことを知った。お孫さんが生まれたばかりの職場の人が、水を買って帰らなきゃと先に歩いて帰った

•ネットニュースやTwitter津波のことを知る

•電車が止まったので、職場の人の一部が歩いて帰りだしたら、多摩川にかかる橋が通行止めになったらしいと連絡が来た

•どうせすぐ動くと思っていた電車は夕方になっても動かない

•相方が職場まで歩いて迎えに来てくれたので、閉まっている飲食店も多い中、開いていた牛タンの"ねぎし"でとりあえず夕ご飯を食べた

•自宅に向かって歩き出す。原宿を通るルートのせいか、街はきらびやかだった

•道中、ビルの壁に設置されたTVで津波の様子を見る

•途中、地下鉄が動き出したことをTwitterで知り、地下鉄の駅にたどり着く。駅の混み方がラッシュアワーのよう。でも頑張って乗った

•JRは線路点検などの理由で翌日まで運休していた。帰途がJRのみの人達は諦めて会社に泊まっていた

•地元は停電していなかった

•自宅のガスはガスメーターのところで地震を探知して止まっていた。翌朝、ガスメーターのその設定を自分達で解除したらガスが出た

•停電している地域に帰った人達は途中でコンビニに寄り、ほとんど売り切れで選択の余地無し、携帯の灯りを頼りにパンを買ったと聞いた

計画停電があった地域もあったが、自宅は該当しなかった

•余震が1ヶ月位続くことを阪神淡路大震災を経験した親族から聞いていたので余震自体はそれほど怖くなかった。それより余震を知らせる携帯電話のエリアメールの音が怖かった

ACジャパンのポポポポーンのCM続きにうんざりしていた

•トイレットペーパーが品切れになったが、少し経つと普通に帰るようになった。(コロナ禍の初め頃の方がトイレットペーパーが買えなかった)

 

私自身はこれで済みました。それなのに今年の10年目の特集記事や特集番組を見ると辛くてたまりません。地震津波で自身や家族や身近な方が直接被害を受けた方々はもっと辛いでしょう。

あれから10年目となる今年はコロナ禍の2年目、歴史に残るような、まさかと思うことが立て続けに起こった10年でした。

緩んだ気を引き締めて、防災用品を今一度点検します。